「確心」をもつには

いのちのことで思い煩うな、からだのことで思い煩うな、

着物のことで思い煩うな、あすのことを思い煩うな……

思いわずらいは無益であり・無駄であり・無意味なのです。

「あなたは確心をもっていつも喜びなさい。

あなたの寛容をみんなの人に示しなさい。

何事も思い煩ってはならない。

ただ、事ごとに感謝をもって、祈りと願いとをささげ、

あなたの求めることを心に願うこと。

そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない、

心の平安があなたの全身に与えられるであろう」

自分を・人を・天を信じないから思い煩うのです。

信じられないのは、自分のことばかり思い煩うからです。

よく見られたい・よく思われたい・よい評価を得たい……

あなたの自己中心・自己本位がヤミとなって「不確心」をもたらしているのです。

つぎの「一瞬」がどうなるか、判らないのが人知です。

ただ、信じてゆだねることを学ぶこと、

信「心」とは確心を導き出すものです。

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