人の愛は利害・打算・計算にその基をおいています。
戦いや争いはその計算・計画が外れ、自分の思いどうりの
結果を得ることができなかったことに、因を発する闘争です。
動物愛には計算がありません。悲しむべきことには、
人間の愛だけがその悪賢さを内に秘めています。
「知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める」
ヒトの言葉がココロ言葉となるとき「愛」の理解と実践が始まります。
「これほどまでに思っているのに」「こんなに愛しているのに」
との不平不満は、人のいのちがヒトのコトバのまま体内をかけめぐっているからです。
この葛藤の果て・人間関係の果てに「心間関係」が訪れます。
「存在」することを問い詰められるのが神間関係です。
問いかけられているうちに、罪の系が解き開かれてきます。
つまり、愛のなさを示されることです。
自分の中の「無愛」を悲しむことです。
悲しみの涙がヒトの言葉を洗い流してくれます。

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