弱い者が必要なわけ

身体が一つであっても、肢体は多くあり、からだのすべての肢体が多くあっても、

身体はひとつである……家族が何人いても家は家庭であり、

何千人の従業員がいようとも企業はひとつの会社です。

「肢体は多くあるが、からだは一つなのである。

目は手にむかって、おまえはいらないとは言えず、また頭は足にむかって、

おまえはいらないとも言えない。

そうではなく、むしろ身体のうちで、他よりも弱く見える肢体が

かえって必要なのであり、他よりも見劣りがすると思えるところに、真実が現れる」

家も企業もすべての社会は、強者・弱者の織り成しによって生活は営まれています。

「もし、一つの肢体が悩めば他の肢体もみな共に悩み、一つの肢体が喜ばれると、

ほかの肢体もみな共に喜ぶ」

弱く貧しい者は、その存在によって、調和と平安をもたらします。

泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜ぶ、その真心をその人々はつむぎ出してくれます。

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