言葉の重み~舌の奴隷にならないように

舌

いのちを愛し、さいわいな日々を過ごそうと願う人は
舌を制して悪を言わず、くちびるを閉じて偽りを語らず
悪を避けて善を行い、平和を求めて、これを追え。

 新約聖書 ペテロの第一の手紙 第3章:10-11節

「舌を制する」という表現は、しばしば聖書において使われています。

これを、ことわざ的に言い代えれば「口は災いのもと」ということになりますが

舌を制御することがいかに難しいことなのかは、失言によって信用失墜し
窮地に追い込まれる政治家や著名人(芸能人含む)が後を絶たないのを見ても
明らかです。

私たちの身近でも、つい放ってしまった一言や嘘によって、友人関係、夫婦関係
職場関係などで、修復不可能なほどの大きな亀裂が生じてしまったという事例は
枚挙にいとまがありません。

人は舌でもって失敗し、また、舌でもって成功もします。

私たちはこの舌で相手をほめそやし、また同じ舌で相手を呪います。
まことに、泉が同じ穴から、甘い水と苦い水を同時に噴出すことがありましょうか。

ネット社会においては、負の言葉はブーメランのごとく刃となり自分に返って来て
相手の徳を高めるプラスの言葉は、自分の徳を高めるレンガを積み上げます。

悪い言葉をいっさいあなたがたの口から出してはいけない。
必要があれば、人の徳を高めるのに役立つ言葉を語って
聞いている者の益になるようにしなさい。

 新約聖書 エペソ人への手紙 第4章29節

また、知恵ある人は言葉数が少ないものです。
なぜなら、言葉が多いと余計な係わりごと、余分な世話事がふえるからです。
逆に愚か者は、洗いざらいしゃべりまくり、抱えなくてもいい問題まで抱込みます。
賢者は相手のために熟成された言葉を慎重に選択し「立て板に水」にはなりません。

「自分の舌を制する」という事は、すなわち「自分の心を制する」事と同義です。

自分の感情のまま、舌から出かかった言葉を、一度喉元で止めて見てください。
その中に「愛」「喜び」「寛容」「柔和」「平安」の要素が含まれているかよく確認してみましょう。
そして、その中に、卑しさや妬みから来るトゲのある言葉もしくは自分の物差しや価値観で
一刀両断にする冷徹な言葉などに含まれる苦々しさを舌先に感じたならば
一度自分の心の中に差し戻し、それらを浄化してみてください。

ほんのわずかな「間」と「心遣い」が持てれば、相手にとって癒やしや安らぎになる
温かみのある言葉に変換して舌に乗せ、渡してあげる事は十分可能なのです。

人の悪口・陰口は蜜の味…そのような魔の虜とならぬよう
自分の不純で汚れた舌=自分の不純で汚れた心を、戒めの蓋で永遠に閉じましょう。

言葉の重みを知り、無駄・無益・無意味な舌を動かさない者は
悲しい舌の奴隷になることはありません。

今日のメッセージが、あなたの足もとのともしびとなり
あなたの道の光となりますように…