宝

あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また盗人らが押し入って
盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。
むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って
盗み出すこともない天に宝をたくわえなさい。
あなたの宝のある所には心もあるからである。

 新約聖書 マタイによる福音書 第6章19~21節

ここで言われている「宝」とは、何でしょうか?

この世で言うところの「宝」とは、お金や宝飾品、高級品、希少価値のあるものなど
そのほとんどが物質的なモノです。

世の中は数限りなく人を魅了するモノで溢れかえって、人間は足ることを忘れ
その欲望の渦に呑み込まれるばかりです。自らを戒め気を引き締めないと
物質的なモノを追い求めるあまり、一番大切なモノを見失ってしまいます。

毎日、ブランドものに身を固め、高級車を乗り回し、贅を尽くした食事に舌鼓を
打ったとして、本当の心の豊かさを得ることは出来るのでしょうか?

腐ることも朽ちることもない心の安らぎは、物質的なものの対極にあります。

地上のきらびやかなまやかしに目と心を奪われることなく、永遠で真の価値の
あるものを見据えて、どこに何を積み上げていけば良いのか考えてみませんか?

今日生かされている喜び、家族の笑顔、大切な存在との霊的な繋がり…
それらの前では、この世の「宝」は取るに足りません。

過剰な贅沢「物質的な宝」は心の窓を曇らせ、高慢さと差別と蔑みを生み出します。
人に与えることを惜しむ心が自分の器量を狭くして、人間的な価値を下落させます。

表面的で、ささいで,はかないことを得ようとすることがいかに愚かなことかを
直視して、人間としての慈愛や絆、人のために役立てることを「宝」や「富」として
積み上げていきませんか?

この世に困っている人は数限りなくいます。災害、貧困、病気、戦争…
他人事でなく自分事として、行動することが「宝」を積み上げることになるのです。

今日のメッセージが、あなたの足もとのともしびとなり
あなたの道の光となりますように…