しあわせ・さいわい・こうふく、というものは全くその人の「主観」とも言えます。
多くのモノ・カネを持ってもいても、孤独の中に死んでいく人、
難病・大病にかかって愚痴と恨みで心身ともに滅びていく人――
他方、見えなかったものがみえるようなったと、感謝のうちに毎日を送る人――
「何も持たないようで、全てのものを持っている」人が、最大のすあわせ者だといえましょう。
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人に知られていないようであるが、認められ、
死にかかっているようであるが、見よ生きている。
懲らしめられているようであるが、殺されず、
悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、
貧しいようであるが多くの人を富ませ、
何も持たないようであるが、すべてのものを持っている』
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そうです。全てのものが入っているのが、「新約聖書」です。
聖書は旧・新と両方あります。
新約はキリストの心を訳したもの、旧約はキリストのからだを現わしたものです。
もちろん両方大事ですが、新約を味読することによって、霊の深みが味わえます。
肉の細胞が肉のからだを立ち上げるように、霊の細胞が霊のからだ・
イエス・キリストをあなたのうちに立ち上げてくれます。
――主よ、世の力・地の力・肉の力の無いこの器に、
神の力・十字架の力・御霊の力をもってお入りください。
これによって全てのものを持つことができます。

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