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新100選アドベントリース~クリスマスのとらえ方
クリスマスが近づくと、夜の街はイルミネーションに彩られ同じように華やいだ演出が施される家庭も多い今日この頃。 例えクリぼっちでも、それらは見る人の心を温め 癒やしと希望を与えてくれます。 -
新100選
「願い」は「祈り」です
昨日が今日に続き、今日が明日に連なっていく…… この連鎖反応が人生であって、その根底に流れているものは「願い」です。 昨日よりも今日を、今日よりも明日をと、より良い生活を願うのが人間です。 したがって、生活の基底が願い・望み・求める行為となり、「祈り」になるのは当然です。 祈りを「宗教行為」などと無知なことを言ってはいけません。 -
100選人は人を愛せない
自分を愛するものを愛することは、たやすいことでありだれにもできることです。 さて、あなたは自分を愛してくれない人を愛することができますか。 家庭はともかくとして、職場での人間関係のツマズキの99%はお互いの好き嫌いです。 あの人がどうのこの人がどうの、とのいがみ合いの愛憎劇が職場の士気を台無しにしてしまいます。 これは人間が完全に愛し合えるものだとの錯覚がしからしめるものです。 人間は人間を完全に愛することはできません。 たとえば、あなたを呪う人を愛せますか、あなたに害を加える人を好きになれますか。 敵のために祈ってあげるという行為は人間には不可能です。 -
新100選ほしいものは祈ること
「困ったときの神だのみ」は、人間の弱さ貧しさを言い表しています。 豊かなときには神は必要なく、貧しさの中にあるとき、 人は神を求めて泣き叫ぶものです。 これが、人間です。 祈りと願いとは違います。 願いは自分のもの・祈りは相手のものです。 相手の事を想うのが「祈」りです。 「願」と「祈」とは厳然と区別されなければなりません。 心にいます神が喜ばれるものが、祈りです。 「あなたは祈るとき自分の部屋に入り、戸を閉じて隠れた所においでになる、 あなたの神に祈りなさい。 すると、隠れた事を見ておられるあなたの神は、報いて下さるであろう」 いくらワメキ叫んでも、願は簡単にはききいれられません。 しかし、祈りは確実に応えられます。